廃止された大阪府の災害危険区域  朝日向猛

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建築基準法第39条の災害危険区域といえば、名古屋市が名古屋市臨海部防災区域建築条例に基づき昭和36年に指定した「臨海部防災区域」が知られていますが、全国で最初期の指定は、昭和25年の建築基準法指定当時の大阪府のものです。この最初期の大阪府の災害危険区域は現在は廃止されていますので、殆どの方は知らないでしょう。
さて、この大阪府の災害危険区域は、高潮・洪水に対する災害を防御するものとして「大阪府建築基準法施行条例」(昭和二十五年大阪府条例第八十三号)に定められていました。

●区域
その範囲は、大阪市と堺市の臨海部で、具体的には以下の地域とされています(条例第81条)。
一 大阪市西淀川区、此花区、港区、大正区、福島区の全域、西成区、住吉区の内十三間堀川以西及び西区の内木津川以西
二 堺市の内大和川以南、南海鉄道本線以西、大浜南町以北の区域、但し七道西町を除く

この条文と当時の地形図(地理院地図)をもとに、区域の範囲を現代の国土地理院地図を背景にして図示してみました。
区域面積をGISで計測したら8,207haありました。名古屋市の災害危険区域「臨海部防災区域」は約 6,500haとされていますので、これよりも広かったようです。


●制限内容
災害危険区域の制限としては、敷地の高さを大阪港の干潮水位から3メートル以上にするというものでした(条例第82条)。但し書きで、防潮堤が完成している区域、木材集積場、卸売市場等の建築物については適用除外されるようになっていました。
素直に読めば、当時、防潮堤未整備の区間については、建築行為に合わせて建築主が自前で盛土して高潮災害に備えるものだったようです。

●背景
このような災害危険区域が指定された背景は何だったのでしょうか。名古屋市の場合は昭和34年の伊勢湾台風による大災害が契機になっています。
大阪府の場合は、もっと以前からの災害(風水害)との戦いが契機だったと考えられます。以下、時系列的に状況を整理してみます。

・1934年(昭和 9年) 9月:室戸台風による高潮災害
・1945年(昭和20年) 1月、3月、6月:米軍による大阪大空襲による戦災
・1945年(昭和20年) 9月:枕崎台風による高潮災害
・1950年(昭和25年) 9月:ジェーン台風による高潮災害
・1950年(昭和25年)12月:「大阪府建築基準法施行条例」制定(災害危険区域の指定)
 ※建築基準法の制定は1950年5月

当時の大阪は、度重なる台風による高潮災害に見舞われていたことがわかります。大阪市港区の資料(室戸台風) (枕崎台風、ジェーン台風)によれば、室戸台風で10日、枕崎台風で40日間もほぼ区内全域が浸水したようです。それに加えて、太平洋戦争の末期には、大阪大空襲に何度も見舞われ、臨海部の市街地は壊滅的な状態になっていました(太平洋戦争)

●戦災復興による盛土
戦災を受けた大阪市は、戦後、戦災復興土地区画整理事業を開始し復興を進めていきます。戦災復興は1949年のドッジ・ライン、シャウプ勧告による財政引締めにより縮小していきますが、大阪市は特に臨海部を別事業(港湾地帯区画整理事業)に振り替えるなどして区画整理事業を進めたようです。
この戦災復興の土地区画整理事業では、港区、大正区の区画整理において、ほぼ区域全域で高さ2mの盛土を行っています。港湾の復興事業として安治川の拡幅と浚渫を行い、その土砂で盛土を実施したのです。
臨海部でこのような大規模な盛土を伴う区画整理事業を実施していたことも、災害危険区域の指定の要因になっているのではないかと考えられます。盛土の高さ2mは地盤からの高さでしょうから、条例の規制値である「大阪港の干潮水位から3メートル以上」まで、1m以内程度までになります。敷地によっては、2m盛土ですでに規制値以上になっていた可能性もあります。つまり、この区画整理事業が完成すれば、災害危険区域による規制は考慮しなくても済ます。
大正区の区画整理事業は盛土高さをO.P.+3.50mとしており、後述する防潮堤と同等の高さまで嵩上げすることとしたようです(大阪あーかいぶず第34号)

大阪市が市街地開発事業(土地区画整理事業・市街地再開発事業)を公表してましたので、先程の廃止された災害危険区域(赤破線)と重ねてみました。黄色(行政庁、地方公共団体施行)とピンク色(個人、組合施行)が区画整理の範囲です。災害危険区域で土地区画整理事業が施行されていることがわかります。


●防潮堤整備
1934年(昭和9年)9月の室戸台風による高潮災害の後、「大阪市は、室戸台風のような史上最大級の台風やそれによって引き起こされた異常高潮を完全に防御する施設を整備することは、経済的、技術的に不可能であるとし、被害の程度を軽減することを第一義として、港湾復興事業を、昭和9年から21年まで実施した。」ようです。
昭和20年の高潮の直後、大阪府と大阪市は緊急防潮堤工事を昭和23年度までにO.P.+3.50mの堤防を完成させましたが、材質、工法等に問題がありました。そのため、昭和24年から、大阪府が事業主体となり、建設省所管の大阪市内河川特殊災害防除施設事業として、恒久防潮堤工事が計画されました。この計画では、基準堤防高O.P.+3.50mとし、25年までの2年間に、防潮堤約12km、恩貴島橋、北港新橋の嵩上げ及び排水ポンプ場の新設などが行われました(環境省「地盤沈下情報」)

●地盤沈下も加味した対策強化
このような高潮対策にもかかわらず、昭和25年のジェーン台風では、再び大きな被害が生じました。当時、大阪市の地盤は沈下傾向にありました。大阪市は地下水の過剰揚水によって地盤沈下が生じていました。戦前から沈下を始め年間沈下量の最大は20cmを越えていました。産業が停滞した終戦期から戦後昭和24年頃までは沈下が停止しています。昭和25年頃からは経済成長とともに再び沈下が激しくなり、昭和35年頃のピーク期には20cm以上の年間沈下量を記録しています(大阪あーかいぶず第34号)
大阪府、大阪市は従来の高潮対策を再検討し、河川、港湾における高潮対策に加え、地盤沈下を防止するための対策(工業用水道の建設)を含む総合高潮計画を立てました。計画高潮位を既往の高潮被害の状況を検討してO.P.+5.00mとしています。

●第二室戸台風(昭和36年)と大阪港高潮恒久計画(昭和42年)
昭和36年には第二室戸台風が襲来します。当時は地盤沈下が継続し、昭和35年には年間10cm以上の沈下が観測されています。防潮堤等の高さが不足し、その機能は著しく低下していました。そのため、地盤沈下対策として、工業用水の取水制限(工業用水法(昭和36年))、水道事業用の取水制限(大阪府公害防止条例(昭和46年)を講じている。
また、高潮堤防については、建設省、運輸省、大阪府及び大阪市は、昭和40年に計画目標として伊勢湾台風級の超大型台風による高潮に十分対処できる恒久的防潮施設を整備するという恒久計画を定めた。この恒久計画における計画高潮位は、O.P.+5.20mとした。この恒久計画に基づき、昭和40年以降、防潮堤、防潮水門及び排水機場などの建設が行われました。防潮堤は、国土交通省、大阪府、大阪市がそれぞれ管理するものを総計すると187kmに及びます(大阪あーかいぶず第34号)

●「大阪府建築基準法施行条例」の見直し(全部改正)
昭和25年に制定された「大阪府建築基準法施行条例」は、昭和46年に見直しされ改正(全部改正)されます。現在に継続している「大阪府建築基準法施行条例」(昭和46年3月11日大阪府条例第四号)です。
この新条例でも災害危険区域が定められましたが、高潮・洪水によるものではなく「災害危険区域は、急傾斜地崩壊危険区域及び急傾斜地崩壊危険区域以外の区域で急傾斜地の崩壊による危険の著しい区域として知事が指定するものとする。」となりました。昭和44年に「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」が制定され、急傾斜地崩壊危険区域の指定と対策が急務であったことが背景として考えられます。

●廃止された災害危険区域
災害危険区域といっても、その原因である災害外力が抑えられる状況下であれば、規制を緩和ないし撤廃することになります。名古屋市の臨海部防災区域もこれまで数回にわたって改正され規制緩和されてきています。また、飯田市の川路・龍江・竜丘地区は昭和36年の「36水害」の後、昭和41年に「災害危険区域に関する条例」を公布して制定しましたが、その後の治水対策(二線堤と計画高水位までの盛土)により一定の災害を防御できるようになったことから、災害危険区域を廃止(平成14年)しています。
「大阪府建築基準法施行条例」(昭和二十五年大阪府条例第八十三号)に基づく大阪府の災害危険区域は、このような廃止した災害危険区域の先例であったともいえます。

●余談
大阪府の災害危険区域は忘れられた存在になっています。国土交通省の資料にも、学会論文にも、名古屋が最初とするようなものが散見される状況です。名古屋市の「臨海部防災区域」は、現存する最古、ならばいいですが、最初の災害危険区域というと明らかな間違いです。
間違いといえば、国会答弁においても少々混乱していて、現代の研究者を悩ましているようです。
第32回国会参議院建設委員会(昭和34年10月10日)では、当時の建設省住宅局長・稗田治氏が「私の存じておる範囲内では、大阪府の条例でございますけれども、室戸台風のときの浸水区域を災害危険区域に指定いたしておりまして、地上げであるとか、あるいは床を高潮の高さよりも高くするとか、そういうような規制をやっておるわけであります。」と発言しています。
第33回国会参議院建設委員会(昭和34年11月17日)建設大臣官房長・鬼丸勝之氏が「これまでに基準法に基づく災害危険区域の指定、あるいはその制限をいたしておりますのは大阪市にございます。」と発言しています。
これでいくと稗田氏の発言の大阪府の条例が正確で、次の「大阪市にございます」は間違いではないですが、正確には「府の条例で大阪市と堺市の各一部に指定されています。」でしょう。
共に1959年秋の発言ですが、これが60年経って混乱を来すようになっているので、記録の残る発言はちゃんとしていないといけないですね。

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