海進、海退   AsahinaTakeshi(朝日向猛)

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縄文時代は温暖化していて、現在よりも海面が2m以上高く、海岸線は内陸に入り込んでいたという。時期は5千年前とか7千年前とか結構な幅が、ありますが、紀元前3千年以上前なので、いずれにしても縄文時代頃でしょう。
日本第四紀学会
大地への刻印>列島の成り立ち

この後、地球が寒冷化し(小氷期?)、海面が現在の水準より2m程度下がり、海岸線が後退して沿岸部に低湿な平地が出現した。このピークが弥生中期くらいなのだという。

グリーンランドの氷とか屋久杉の年輪をもとにして作成したというこんな図こんな図がよくでてくるのだが、これが本当なのかはよくわからない。気候変動に対する考え方で作り方も見方も違ってくるように思う。

こうした気候変動があって、気温上昇⇒海面の上昇(海進)、気温下降⇒下降(海退)があって、人類は、縄文の狩猟・採集から、弥生の農耕・定住の時代に変化していったとされている。それまで何千年も続いていた縄文時代は終焉し、新たに弥生時代が始まる。寒冷化して狩猟による食料調達ができなくなるのだから、農耕文化に押され、新しい文化は急速に進んでいったのでしょう。 海面上昇については、海面上昇シミュレーションシステムこのサイトで確認することができるが、残念ながら海面下降については確認できない。

海面上昇については、古代史ファンの方々も、縄文海進を弥生時代に当てはめて、邪馬台国がどこにあった論を展開したりもするので、これも気候変動を使った強引な論理展開のように思えてしまう。弥生時代に寒冷化して海退していたのであれば、集落や農地は海岸沿いにつくられていたのかもしれない。もしかすると、有明海や瀬戸内海、大阪湾などは現在よりも狭かったのかもしれない。

江戸時代も寒冷化した小氷期に始まっているが、この時代には農地開発が進んでいる。農地になりそうな土地が広がれば、あっという間に農地がつくられていく。人類はすごい。

そうした歴史や科学ではなく、わたしが気になるのは、気温上昇=狩猟・採集から、寒冷化=農耕への変化だ。それも文化ではなく、食料としての変化が気になる。狩猟の時代に肉食があったとしたらエネルギー源は脂質だろうか。農耕の時代には穀類からの糖質がエネルギー源だろう。気候変動が人類の食物を変えているのかもしれない。
現代社会は、糖質制限が大流行している。これも気候変動の影響かもしれない。温暖化が進んでくると、農地が減少し穀類が減少する。こうした危機に備えるため、人類が糖質を制限し始めたのかもしれない。というのは、なんの根拠もない笑い話。冗談はこれくらいにしておこう。



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